« 練習ペース | トップページ | 大阪マスターズ選手権3000m »

2012年5月17日 (木)

円谷幸吉

今日は鴨川下流の勧進橋⇔水鶏橋3.5kmコースを走る。キロ6分ペース目標ながら結果は18分40秒で【15:20/km】。ゆっくり走るのもなかなか難しい。これでキロ6分だとジョグになってしまう。コースへの行き帰りも含め合計60分ジョグという感じ。

練習以外に日頃は何をしているかというと、
・陸上記事ネット拾い読み
・読書
・昼寝
・ブログ作成
・孫と遊び
・散歩
・絵描き
などなど

読書は時代小説の文庫本は買って読むが、それ以外は図書館から借りてきて読むのが多い。

今日は円谷幸吉の本を読みおえた。

「もう走れません ---円谷幸吉の栄光と死」
著者・長岡民男(毎日新聞陸上競技記者)
発行・講談社、昭和52年12月初版

図書館から借りたのは昭和53年の第2刷。この本はたぶん、当時、買って読んでいたように思う。同じ著者のアベベの生涯を描いた「マスカルの花道」も当時、買って読んだ。陸上競技の本を読むのは昔から好きだ。

日本中が沸いた東京オリンピックは1964年、GG15歳だから高校1年か。みんなが注目したマラソンは10月21日。オリンピックメインイベントの陸上競技はこの日までメダル無し。最終種目のマラソンにいやでも期待が高まる。戦う日本マラソン陣は理想のトリオ、君原、寺沢、そして円谷幸吉。

この「もう走れません」は福島県須賀川の野道を兄と一緒に走るのが好きな小柄な少年が東京五輪マラソンで銅メダルに輝くまでの活躍と栄光の話がメインだ。レースシーンは読み応え十分。一方で、東京後の失意や死については淡々とした記述。

<本の内容メモ>

昭和15年(1940年)5月15日生まれ。七人目の末っ子。

父の幸七は剛毅で清廉な人柄で
・自分のことは、自分でせよ
・他人に迷惑をかけるな
・やり始めたことは、最後までやりとげよ
が子育ての三つの柱

何事にも骨身を惜しむ者を、最も憎んだと言う。

父からこの教えを受けた幸吉は、きまじめで、礼儀ただしく、恐ろしいほど忍耐強い青年に育っていく。だからといって融通のきかないカタブツではない。ユーモアに富み、朗らかで、いつも笑顔を絶やさなかった、という。そして他人へのおもいやりも人一倍強く、やさしい性格だったという。

円谷幸吉の几帳面さを物語るエピソードで有名なのは、レースのスタートのとき、トレパンやトレシャツなど脱いだ衣類をていねいにたたんでいたこと。それも、いちいちシワを伸ばしながら・・・である。入浴のときも、就寝のときも同じだったとのこと。レースや合宿で一緒になった澤木啓祐や寺沢徹が関心して話す。

須賀川高校2年のときに陸上部入部。
3年で憧れの全国インターハイへ(結果は5000m予選落選)、そして国体出場
卒業後は自衛隊に入り翌年の熊本国体で5000mに5位。

初の全国大会入賞を契機にめきめきと頭角を現し、日本選手権6位、国体2位、青東駅伝3連続区間新記録、5000m14分44秒8。この実績で幸吉は自衛隊体育学校1期生の1人に選ばれる。

ここから畠野コーチとの二人三脚で世界の舞台へ駆け上がっていく。

東京オリンピックの10000m6位入賞、そしてマラソン銅メダル。
夕もやの国立競技場に日の丸があがる。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

東京五輪マラソン・メダリスト
円谷幸吉・・・1968年1月9日没、享年27歳
アベベ  ・・・ 1973年10月25日没、享年41歳
ヒートリー ・・・ 現在78歳

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

今日のBGM


|

« 練習ペース | トップページ | 大阪マスターズ選手権3000m »

雑記帳」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 練習ペース | トップページ | 大阪マスターズ選手権3000m »