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2013年3月22日 (金)

岡崎公園まで散歩

晴れ。あったかい。

今日は岡崎公園まで早歩き。

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鴨川沿いの桜。七条から五条の間が咲いてます。それより上はこれからかな。

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岡崎近くの二条通を歩いていると見かけた。おかざきいきいき歌声喫茶?
なんか入りたくなったけど、やめました。

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岡崎公園の疏水をお母さんカモとちびカモが流れに向かって一生懸命泳いでいた。

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ヱスビー食品、4月からはDeNAですが陸上部監督の瀬古利彦氏が「マラソンについて知っておいてもらいたいこと、伝えておきたいこと」を書き残した本

現役最後のレースは1988年ソウル五輪マラソン。昭和も最後の年だった。陸上選手としては最も国民によく知られた人物の一人でしょう。

プロローグは瀬古氏の自己紹介です。

1956年7月15日、三重県桑名市に生まれる。現在56歳かな。GGサンと同県人。中学時代は野球部のピッチャー。県大会に出場したこともあるが投げ込み過ぎでヒジを痛め四日市工業高では陸上を始める。高校2年、3年で全国インターハイ800mと1500m2種目2連覇。3年のときは5000mにも出場し準優勝という逸材中の逸材。

1年間浪人して早稲田に進学、生涯の師となる中村清先生と出会いマラソンを始める。マラソン3戦目の1978年、福岡国際で初優勝。以来マラソン15戦10勝。自己ベストは2時間8分27秒。日本最高記録をもっていた時期もあり。

この瀬古氏のベスト記録を先月の別大マラソンで川内優輝選手が破ったのは記憶に新しい。「瀬古さんを抜きうれしい」と言ってましたし「いつまでも瀬古さんの記録が日本歴代20傑に残ってるのはおかしい」とまでコメントしています。(恐いものなしの川内選手)

その瀬古氏は3度もオリンピック代表に選ばれたが、1980年のモスクワは日本のボイコットのため出場叶わず。84年のロスは14位、88年のソウルは9位。オリンピックだけはどうにも縁がない。これだけが悔しい、と書いてあります。

瀬古氏の最も古いかけっこの記憶は幼稚園の時だそう。幼稚園から家まで1.5kmの道を先生や用務員のおじさんに捕まらずに逃げ帰ったこと。「自分は走るのが速いんだな」と初めて実感した、とある。

実はGGサンも幼稚園での原体験があって、今もうろ覚えだが記憶している。多分、堤防の土手の道での幼稚園のマラソン大会。そこでGGサンは懸命に走って一等賞をとった。砂利混じりの道。土手の両側には草が茂っていて、こけそうになりながら走った記憶があるんです。以来、なぜか長い距離を走ることだけは他の者より速い、ことを自覚するようになる。ただし瀬古氏のような体育部活動には中学も高校も縁がなかった。陸上競技場を走るなんて大それたことを想像することさえできない学校生活でした。でも体育際には1500mで陸上部の選手(1年生だけど。体育祭の競争種目には陸上部員は1年生しか出られない)に勝った。このときは陸上部顧問(体育の先生)が悔しがっていたな。そして負けた1年生はボロクソに怒られていた。

GGサンの走りを見ていた物理の先生が「GG、お前すごいな~」ってほめてくれたのが一番うれしかった。GGサンは物理が大好きで、この物理の先生も大好きだった。ノー天気な先生で腰に手ぬぐいぶら下げて下駄を鳴らして歩いてた野村先生。(なんか歌にでてきそうな)。ノーさん(野村先生のあだな)どうしてるかな。

GGサンは高校時代は機械クラブと物理クラブに入っていた。それにSF(Science Fiction 空想科学小説)のファンクラブ(全国組織)を作りガリ版同人誌を作っていた。陸上とは縁がなかったんだなあ。

(本の続きはまた次回にでも)

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