吉永小百合

2018年2月16日 (金)

吉永・浜田コンビの始まり

映画120本出演となる吉永小百合の初主演作は?

この問いに答えられる人は相当の吉永ファンか。

答えは映画出演8本目の「ガラスの中の少女」(昭和35年11月9日公開)。そしてこの映画は吉永・浜田コンビとしての最初の1本でもあった。

コンビでの映画はなんと44本。浜田氏によると、1年のうち、会わない日が3日しかないほど仕事でべったりの時期があった。

浜田さんは高校生のとき、子役映画でお世話になった若杉光夫監督から「ガラスの中の少女」のオーディションを受けるように誘われる。まだ一介の少女女優にすぎなかった吉永さんもこのオーディションを受け、ここで二人は初めて顔を合わせる。

浜田氏によると、それまでに吉永さんと同じ通学電車に乗ることがあり、チラチラと見ていた。すでに赤木圭一郎主演「霧笛が俺を呼んでいる」などの映画に出ていた吉永さんは、そこいらの高校生にとっては憧れの的だった。

オーディションの結果、ヒーロー&ヒロインにふたりが選ばれた。多分、はなから決まっていたのだろう。吉永小百合は日活期待の新人スターで、浜田光曠(みつひろ)は監督自ら誘ったお気に入りの少年だった。

なお浜田さんは本名が斌(あきら)で改名して光曠(みつひろ)だったが、「そんな名前は難しすぎる。名前は優しいほうがファンは覚えてくれるもの」と、若林光夫監督が自分の名前をそのままに浜田光夫という名付けつけた。

では吉永小百合・浜田光夫コンビが初めて演じた「ガラスの中の少女」とはどんな映画なのか。

まずは日活ポスター
180216_00
どこへ流れる愛の泉!青い湖水か、暗い谷間か!哀しくも散った乙女の慕情!

ふたりとも子ども子どもした感じの絵。原作は直木賞作家・有馬頼義(よりちか)の同名短編小説。

吉永小百合DVDマガジンは
180216_01
ガラスのように傷つきやすい少女と少年は純愛を貫くため湖へ

180216_02

四ツ谷駅前で呼びとめられた靖代(吉永小百合)。駆け寄って来たのは中学時代の同級生の陽一(浜田光夫)。

いつしか二人は互いに相手を意識しあい、デイトを重ねる。

ある日、靖代は陽一の家をたずねる。中学卒業後、貧しさゆえに小さな町工場で働く陽一。そんな姿を見に来た靖代に陽一は反発する。

沈んだ気持ちでバスに乗って帰る靖代の目に、バスを追って懸命に走る陽一が・・・


「人の知らない花」は初レコード「寒い朝」のカップリング曲。1962年(昭和37年)4月20日発売。映画とは関係ありません。


「娘が可愛いあまりに厳しくしてしまう父親との関係に、耐えて、耐えて悲しい決断をした靖代の思いが、15歳の私の胸の中にせまってきました」――吉永小百合

靖代の母は戦争で夫を亡くして、恩師と再婚しており靖代の実の父ではない。酔っぱらって帰宅した父に抱きしめられた靖代は「いやっ!」といって逃げるシーンがあったりで、父とは複雑な関係。陽一も貧乏どん底生活の中、両親と喧嘩して家を飛び出す。

父の勝手で北海道に引っ越すことになった靖代は陽一とともに静かな山間の湖にボートを浮かべる・・・

初めて共演した浜田さんの吉永さんの印象は年下のお姉さん。あるいはクラスメート。年は浜田さんのほうが一つ上だが、「私は小百合さんを年下という感じでみたことはなかった」

以後44本の映画共演で青春時代をおくった二人だが、実生活でのロマンスは、いっさい無し。

小百合さんは演技が終わると取りつく島もないような他人の顔になる。演技の余韻を実生活に引きずったりする人ではなかった。そういう意味では見事な女優さんである。プライベートで遊びに誘うなんてことは考えられなかった。せいぜい、ケーキ屋さんかお汁粉屋さんに出かけるという程度のものだった。(展望社『青春浜田光夫』より)

1 本目 ガラスの中の少女
 ・・・ 昭和35年11月公開 浜田さん16 吉永さん15

44本目 花開く娘たち
 ・・・昭和44年 1月公開 浜田さん25 吉永さん23

44本目がこの映画かどうかはちょっと? でもこれ以降、ふたりがメインでの作品はありません(たぶん)。

昭和41年に共演の決まっていた「愛と死の記録」は、浜田さんが目を大けがしたことで渡さんが代役。この映画では吉永さんと渡さんがヒシッと抱き合うシーンがあった。浜田光夫がお相手では見られない吉永小百合の迫真の演技であったようぬ思う。

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

テレビ | 吉永小百合 | 映画 | 由美かおる | 雑記帳